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Jean-Paul GAULTIER/ジャン=ポール・ゴルティエの買取価格の特徴は?

 

1976年コレクションデビューを果たしたフランスのブランド

Jean-Paul GAULTIER/ジャンポール・ゴルチエ」

 

中古市場でも大変人気の高いブランドです。

 

アヴァンギャルディズムとクラシシズムを融合させたキッチュで独特の作風は、年月が経っても色褪せない、つまり古いモデルであってもしっかり高い金額での買取につながっております。

 

他の多くのブランドの場合、基本的に発売より5年を経過してしまうと大きく需要が下がってしまい、 それに伴い買取価格も低くなってしまいますが、ゴルチエの場合は15年前のお品物でも古臭い感じは少ないため、高く買取れる傾向にございます。

 

 

Jean-Paul GAULTIER/ジャン=ポール・ゴルティエの中でも特に高く買取れるモノって?

 

 

その価値の下がりにくいゴルチエの中でも、特に高価買取可能なモノとしては、

 

やはりゴルチエらしい変形パンツスカートや、レザー製品に集中している印象です。

 

 特にユニセックスなワイドパンツやお財布は中古市場でも人気のようです。

 

 

 

反対にお値段が付きにくいモノですが、

やはりTシャツや薄手のシャツなどは市場では消耗品という認識ですのでお値段つきにくい傾向にございます。

■アバンギャルドでエッジの効いた独創的なスタイルが光るJean-Paul GAULTIERジャン=ポール・ゴルティエ

 

1980年代のモードな世界観にパンクな精神とアバンギャルドなデザインで席巻したゴルチエ。オートクチュールにこだわり、プレタポルテ(既製服)をやめた今なおファンの多いブランドです。

 

ジャンポール・ゴルチエはフランスのファッションブランド。

 

 

1952年フランスのパリ郊外に生まれたゴルチエは、祖母がお針子だった影響もあり、

洋裁の基本を幼いころから遊びかたわら身に付け、デザイナーになるための教育は受けなかったといいます。

 

 

そのことについて聞かれたインタビューでは、

『実のところ、僕はデザイナーではなくドレスメーカーなんだ。

ともかく、確かに僕はモードの学校を出ていない。

多分そのせいで僕は解放されたように自由なんだろうね。

というのも、自分固有のコードを作り出すことに成功したんだから。

僕が「学校」として学んだところは、モード雑誌の数々だったな。

雑誌などをじっくり観察し、自分が気に入ったファッションを集めてコレクションとし、それらをデッサンしてね。

同時に、その自分のコレクションに対して批判する文章も書いていたよ。』

と答えています。

 

 

また、同じインタビュアーにデザイナーを志したきっかけを聞かれたゴルチエはこう答えます。

『祖母とテレビで映画「偽れる装い(Falbalas)」を見ていたときのこと。

この映画は1940年代に製作されたジャック・ベッケル監督の白黒映画で、

主演は女優のミシュリーヌ・プレール。

その映画の中に、ファッションショーのシーンがあってね。

それを見た瞬間、「自分はドレスメーカーになり、ファッションショーをするんだ!」と、すぐにひらめいた。自分の天職だ、将来の職業はこれしかない! と。』

 

 

多くの著名なデザイナーにデザインのスケッチ画を送り続け、それがきっかけで、

1970年に若干18歳でピエールカルダンのメゾンに入りアシスタントを務めることから

ゴルチエの輝かしい未来がスタートしたのです。

このことについてゴルチエは、

『全てピエール・カルダン氏のお陰と言えるよ。彼が僕を雇ってくれたんだから。

今日、僕がこうあることができるのは、当時彼が便宜とチャンスを与えてくれたからこそなんだ。』そう答えています。

 

 

その後ジャック・エステル、ジャン・パトゥで働き、クチュールの経験を積んだゴルチエ。

 

1976年、自身の名を冠したJean-Paul GAULTIER/ジャンポール・ゴルチエ」プレタポルテコレクションでデビュー。

 

 

19773月パリの「バスストップ」(オンワード樫山経営)の専属デザイナーに採用され、本格的な活動を開始。

 

 

1978年には、オンワード樫山とスティリスト契約を結びジャンポール・ゴルチエ社を設立。

 

 

1980年代にアンドロジナス、下着ルック、ボディコン服等、斬新かつユーモラスな作品を次々と作りだし、トレンドセッターとしての役割を果たしていきます。

 

 アヴァンギャルディズムとクラシシズムを融合させたキッチュで独特の作風は、世界中のモード関係者から高い評価を受けています。装飾がかったドレス等には、特異な感性が表現され、多くのファンを生みました。

 

 

1984年春夏からメンズ・コレクションを発表。

 

 

1985年前身頃に折り返し可能な垂れ端を備え、スカートのように見える調ワイドなパンツがコレクションに登場。

メンズモデルでも、レディースモデルでも、性別を超越した作品に魅力を感じるジャンポール・ゴルチエは、メンズスカートによって常識を覆すとともに、

それぞれの性に固有のお決まりのファッションイメージに疑問を投げかけたのです。

 

1987年、第2回「オスカー・ドゥ・ラ・モード」受賞。

 

 

1988年ディフュージョンライン「ジュニアゴルチエ:Junior Gaultier」をスタート。

 

 

1990年マドンナのワールドツアーの衣装を担当。

 

ジャンポール・ゴルチエが称賛する女性像に不可欠なファッションアイテム、円錐形ブラ付きコルセット。70年代の最初のフェミニズム運動の波によって嘲笑された、際立つ女性らしさを再びはっきりと示します。

このツアーでマドンナが着用したことで、アイコン的存在になったこのコルセットは、

ドルチエのコレクションの象徴的なアイテムになり、あらゆるモデル、あらゆる仕立て方のバリエーションが誕生しています。

 

 

 

1992年「ゴルチエジーンズ:Gaultier Jeans」スタート。

 

 

1993年香水「ジャンポール・ゴルチエ パルファム」をスタート。

 

 

1997S/Sからオートクチュール・コレクションを発表。(これはファッションをスタートした原点に返るもので自分自身へのご褒美とのこと。)

 

 

1998年、初めて東京でコレクションを発表。

 

 

2003年には「浴衣」「リョーカ」「水着」を発表。

 

 

またこれまで「コックと泥棒、その妻と愛人」「キカ」、ジャン・ピエール・ジュネの 「ロスト・チルドレン」、リュック・ベッソンの「フィフス・エレメント」等、映画の衣装も手がけ、映画界でも活躍。マドンナのワールドツアー、マリリン・マンソンのステージ衣装なども手がけてきました。

2004-2005A/Wから、マルタン マルジェラから引き継ぎ、エルメス(HERMES)のレディースプレタポルテのアーティスティック・ディレクターに就任。

2010-2011A/Wまで担当。(ゴルチエの後は、クリストフ ルメールが就任)

 

 

2006年秋冬コレクションより、メンズウェアのコレクションラインを、

女性も共用できるユニセックスなラインである「GAULTIER2(ゴルチエ・パワー・トゥ・ザ・トゥ)」に変更。

 

 

2007年、レペット(repetto)の創立60周年を記念し、同ブランドとコラボレートしたアイテムを発表。

 

 

2010年、Targetの「デザイナー・コラボレーション」第3弾として限定コレクションを発表。

 

 

2010年秋冬コレクションより、

メンズウェアのコレクションライン「Jean Paul GAULTIER monsieur」を発表。

 

 

201012月には、東京銀座にゴルチエ世界初のコンセプトショップをオープン。

 

オープニングセレモニーには、ショップのコンセプトに合わせた宇宙服を着て、ゴルチエ本人が来日。

本物の宇宙服を身に付け、まるで月面を歩くようにゆっくりと登場。

周囲の声援に応えて大きく手を振り「宇宙へヨウコソ!」と笑顔で来場者を迎えた。

「ここは私の宇宙。東京のためにスペシャルでユニークな場所にしたかった。月の上に日本庭園があるように、ミックスされた東京ならではのショップだと話していました。

 

2011年春夏コレクションを最後に、エルメスのレディースプレタポルテのアーティスティック・ディレクターを退任。

 

2014年、2015年春夏コレクションを最後にプレタポルテから撤退し、香水とオートクチュール部門のみにフォーカスすることが発表されました。

(最後のプレタポルテファッションショー)

 

■Jean-Paul GAULTIER/ジャン=ポール・ゴルティエとアーティスト

 

映画や歌手のステージで衣装としてよく着用されますね、と問われたゴルチエは、

『このような企画は、僕にとってまさに新鮮な息吹。ラッキーなのは、これまで僕が尊敬する人たちと常にコラボできるチャンスに恵まれてきたことだね。

 

自分のコレクションを発表するとき、自分は同時に舞台の演出家でもあるから、自分でシナリオを書き、キャスティングも行う。一方で、映画の仕事をするときは、例えばシナリオはもう出来上がっていれば、監督もいるわけ。そこで僕がやるべきことは、僕の創作品を他の誰かに着用してもらうこと。』と答えています。

 

 

下着をアウターウエア化する流れを作り、ビスチェ風のコルセットを1982年に発表したゴルチエのデザインは、セクシーアイコンのあの人も虜にしました。

1990年、ゴルチエがデザインし、歌手のマドンナがツアーで着た「コーンブラ(円錐形のブラジャー)」やボンデージ風ファッションは、誰しもが目にしたことがある有名な衣装でしょう。

 

 

日本では、BOOWYTHE ALFEEとのコラボレーションがよく知られているのではないでしょうか。

 

THE ALFEEは、1989年にライブとゴルティエのファッションショーが融合したイベントツアー「THE ALFEE with Jean-Paul GAULTIERツアー」を開催しています。

 

BOOWYはステージ衣装でジャン・ポール・ゴルチエの細身のスーツに身を包み、

モダンで先鋭的なジャケットを羽織ったビジュアルは、後の音楽シーンに多大なる影響を与えています。

1988年のBOOWYラストライブ「LAST GIGS」にて発売されたゴルチエのタンクトップは、のちにDVDとともに再発売されるほどの人気でした。

 

■唯一無二の存在、Jean-Paul GAULTIER/ジャン=ポール・ゴルティエ

 

クラシックと未来、フォーマルとエスニック、女と男、明と暗、あらゆる要素をつなぎ合わせて違和感無く作るそのコレクションで人々を魅了するジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul GAULTIER)のアイテムたち。

 

ゴルチエの真骨頂は性の垣根なくアイテムを作りだすところにあるといわれます。

チュールのカットソー、男性のためのスカートは定番。

「なぜ男がスカートをはけないんだ」という言葉も残し、ユニセックスの流れを先取りしたゴルチエのウエアは、中古市場でも人気の高いアイテムです。

 

また、ドラゴンやバラをモチーフにした小物なども人気があります。

 

 

 

販売から時を経ても、人気のあるブランドは、中古市場で高い人気を誇ります。

人気があるということは、買取価格も高いということ!

お家でゴルチエの服、眠っていませんか??

 

 

 

福岡アパレルブランド買取「FUKUFUKU」では、11点丁寧にお調べし、大切に次に必要とされている方へと橋渡しさせていただきます。

 

 

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